言葉の力:一言が人生を変える
おはようございます、もしくはこんばんは。ユニクロ以外にも洋服を買い始めました、ルキナです。ユニクロが値上げしてからというものの、ユニクロへの愛着が低下してきています。平日はユニクロ、休日は他のもの、みたいな感じにしています。洋服を変えると気分も変わる感じになりますね、良い発見です。
久しぶりの更新ですが、短い記事になりそうです。人生を変える一言というのはあるかと思いますが、ぱっと出てくるかと言われたら意外と出てこないもの。
今回ふと思い出したので、記事に残しておこうと思った次第です。それでは行きましょう。
中学生の物語
中学生になると、学級委員長というものが存在します。決め方はクラスそれぞれだと思いますが、ルキナのクラスでは『ふさわしい人に投票』という形式でした。
投票結果
1位:ルキナ
2位:好青年S
なんと1位だったんですね、驚きました。ルキナは自分のことを根っからの陰キャだと思っていましたし、クラスを引っ張っていけるなんて思えませんでした。そのため「無理かと思いますー」と言って2位の彼に譲りました。
そして、その帰り際に担任の先生から呼び出しをくらいました。なんのことだろーと思っていましたが、クラス委員長決めについてでした。
「なんで引き受けなかったの?」という内容から始まりました。ルキナは「向いていないと思ったから」と言うと、先生はこんなことを言ってくれました。
先生:「投票結果が1位ということはどういうこと?」
ルキナ:「みんなが投票してくれたということでしょうか」
先生:「そう。みんな投票してくれている。つまり、クラスの中で一番委員長にふさわしいと思われている。そういうことなんだよ?」
ルキナ:「確かにそうですね」
先生:「強制はしないけど、評価されているのにやらないのは勿体無い」
この『周りから評価されているのにやらないのは勿体無い』という言葉がルキナの人生を大きく変えました。これ以降「自分には無理だよ」という発言がほとんどなくなったことを自覚しています。そして、その行動によってルキナは自分が期待していた以上に成長し続けられていると感じています。
(ちなみに学級委員長ですが、後から役割を奪うわけにも行かないので好青年Sに譲りました。やる気にはなったんだけどね)
言葉の力の影響
あなたが、人を励まそうとしたり、勇気づけようとしたその一言は、相手に大きな影響を与えることがあります。それこそ人生観が変わったりするものです。
あなたの一言で誰かの人生が変わるかもしれません。
ユニバース25から考える生活環境の重要性
おはようございます。もしくは、こんばんは。
Amazonセールでモニターアームの購入を検討しています。ルキナです。安くはないのでかれこれ1年近く迷っています。
皆さんは、ユニバース25という実験をご存知でしょうか。通称、『楽園実験』とも呼ばれており、理想的な生活環境において生物は繁栄できるのかということを調べたものです。技術力向上により、人間は徐々に楽園へと近づいており、それに先駆けた研究ということですね。
今回は、このユニバース25の実験結果から、人間の生活環境について考えていきたいと思います。それでは、目次です。
1 ユニバース25の実験の概要と結果
ユニバース25について知っている方は、この章は飛ばして大丈夫です。
1-1 実験設計と目的
ユニバース25とは、アメリカの動物行動学者ジョン・B・カルフンが行った社会的行動実験の一部であり、その目的は、社会環境が生物個体と生物の社会全体に与える影響を理解することでした。カルフンは、理想的なリソース(食物と住居)が無限に供給される環境を再現し、マウスの社会の発展と衰退を観察しました。初めは、4組の健康なノルウェー・ラットから始まりました。
1-2 観察された現象と結果
最初の数ヶ月間で、マウス社会は急速に成長しました。しかし、カルフンが観察した最大の個体数を達成したのち、マウスのコミュニティは社会的衰退を始め、急速に人口?が減少しました。
この衰退期間に、マウスの中には新たな行動様式を示す個体が現れました。その個体は性的には無関心で、他のマウスとの社会的交流を避け、食料や水を摂取した後は無気力に過ごすだけの個体が現れました(ニーチェの哲学で言うところの"末人"ですね)。これらのマウスは、生殖行動をとらず、また社会的ストレスから遠ざかるために他のマウスから離れて生活していました。
このような異常行動が見られた結果、ユニバース25ではマウスの社会的崩壊が起き、人口?が急激に減少しました。マウスらが理想的な物質的条件を提供されていても、社会的な問題が生じ、最終的には全てのマウスが絶滅したということです。
2 マウスはなぜ絶滅したのか
絶滅した主要因は『生殖行動をとらなかったこと』にあります。つまりは、本能の欠落です。では、なぜ生殖行動をとらなくなってしまったのか、考えられる原因は2つあります。
・生殖に興味を示さない遺伝子を持つ個体が生まれた
・生活環境によって、後天的に生殖行動を取らなくなった
実際はどちらなのかというと、遺伝的な変化よりも『環境的なストレスの影響によるもの』と解釈されています。
まあ、そうですよねという感じです。本能が数世代で書き変わるとは考えにくいですから。
ここで言いたかったことは、環境的なストレスは本能すらも捻じ曲げる可能性を秘めていると言うことです。
3 ストレスは万病の元とはよく言った
3-1 ユニバース25は実は楽園ではない
ユニバース25の実験ですが、実はマウスにとって"楽園"ではありません。ユニバース25によって管理されたのは『物質的な豊かさ』であり、『感情的な豊かさ』については何も管理がされていません。マウスたちは生活には困らない環境にいたにも関わらず、過密状態や社会的ストレスによって異常行動を示し、最終的には絶滅しました。
人間社会においても、同様の視点が重要です。物質的な安定だけでなく、精神的な健康や人間関係の充実、社会的な公正さなどを考慮することが非常に重要です。具体的には、精神的に不安定な人々への支援、犯罪者の更生プログラム、不平等の解消、教育や医療へのアクセス機会の公平さなどでしょうか。
楽園には『感情的な豊かさ』が必須になります。
3-2 生活環境を整える
『物質的な豊かさ』にとらわれて『感情的な豊かさ』を忘れてはいけません。
ストレスは、本能の欠如を引き起こしたり、種全体を絶滅に追いやる危険性を秘めています。現代の我々においても、ストレスを無視せずに『自分のストレスは何か』という観点で生活環境を整えていくことが先決かもしれません。
最後に、ルキナの生活環境を整えるコツについて少し話しておこうと思います。
キーワードは【小さなストレスは無視しない】です。
例えば、鍵をバックから出すのが面倒くさい。洗い物で手が荒れる。早朝は電気をつけるのが面倒。などなど、「なんか面倒くさい」と感じるものは早めに手を打つべきです。気付かないレベルの小さなストレスというのは、徐々に人間を蝕み、イライラすることも増えます。
ちなみに、世の中は利き手が左の人には不親切な設計が多く、小さなストレスの積み重ねによって寿命が短いという都市伝説があります。
意図しないストレスを減らすことで無駄にイライラしなくなります。小さなストレスは、積極的に回避していくことを推奨します。
仕事のミスを減らしたい
おはようございます、もしくはこんばんは。
家から眺める雨は楽しいけど、雨の日に外出は最悪、ルキナです。
最近は仕事に慣れてきてミスが増えてきました。大きな損失を出してもおかしくないくらいにミスを連発、ということで、これは何とかする必要があります。今回は、ミスをしない対策法として記事を作成しています。
あくまでもルキナの対策法であるため、参考にならない人もいるかもしれませんが、悪しからず。それでは、目次です。
1 発生しているミスについて
ミスの内容としては、難しいものではなく"見落とし"がほとんどです。例えば、型を設計する際に当然考慮に入れておくポイントを見落としてしまっていたり、もう少し深く考えておくべきポイントを軽視してミスにつながるというものです。
何か1つのミスに対して、それ専用の対策をするのは不十分で、より網羅的な対策が必要となります。ルキナは、ミスの裏には自分の特性が隠れていると考えています。そのミスを引き起こすに至ったその人の特性というものがあるという事です。ルキナの直近のミスの連発は『楽観的に物事を考える癖がある』という特性が原因になっていると考えています。
2 対策
2-1 『それ』の存在意義を理解する
2-2 プレモーテム
3 最後に
現代では、ミスをする人に対して「そういう人だよね」と片付けて、"見捨てられる"ようになってきているとも感じています(まあ、『ミスに対して言及する』=『パワハラ認定』みたいな謎状況になりつつあるので、個人のミスの改善に力を入れられないのかもしれませんが)。
何もかもが自己責任になりつつある時代において、ミスを減らす(今よりも仕事ができるようになる)というのは、より大きな価値を持つようになってきていると感じています。
子供を不幸にする無能な親の特徴
おはようございます、もしくはこんばんは。お気に入りばかりが販売されなくなる、ルキナです。コメダ珈琲店の「瑞(みずき)」って紅茶が好きだったのですが、今はほとんど見かけません(一部店舗では取り扱いがあるみたいですが、ほとんどありません。悲しいです)。
今回の記事は、ひろゆき氏の「学歴が低い親の最大の問題は、頭が悪いことではなく、頭の良い大学にさえ行けば幸せになれると勘違いしていること」という意見に便乗しています。
初めに言っておきますが、学歴の低い親が無能というわけではありません。誰もがやってしまいがちな内容なので「改めて気をつけなくてはな」という気づきになってくれればと思います。それでは、目次です。
1 学歴や特定のスキルへの過度の依存
「〜さえできていれば」皆がこれを考えるのではないでしょうか?ですが、これほどに人間の可能性を潰してしまう思考はそんなにはありません。「〜さえできていればもっと幸せになれる」こんな勘違いをする親が子供に勉強とかスポーツとか強要させたりするんですよね。なぜなら「それさえできれば人生ば薔薇色だったから、私の教育は間違っていない」と勘違いしているからです。
1-1 学歴や特定のスキルが全てを決定するという誤解
改めて考えてみれば当たり前のことですが[学歴が高い=収入が安定している]という等式は成り立ちません。これは学歴だけでなく、あらゆるスキルや能力にも言えます。
例えば、井上尚弥や大谷翔平の人間性に問題があったとします。試合前後も常に暴言を吐き、問題行動ばかりをしていた場合、今と同じように皆から称賛されるでしょうか。おそらくされないと思います。そして、そのような周りから称賛されない状態であれば、怪我をしたりスランプに入っても助けてくれる人はほとんどいません。当人にとっても幸せな状況とは言えないわけです。
何が言いたいのかというと、特定のスキルは個々の成功に寄与する可能性がありますが、その成功は特定のスキルだけに依存するわけではなく、他のスキルや能力、経験、そして個々の置かれた状況などにも影響を受けます。
個人という存在は、何か1つによって決定されるほど単純なものではありません。
1-2 子供に与える負の影響:親の過度の期待やプレッシャーの影響
ルキナも親から無駄なプレッシャーを受けた1人です。親は良い大学に入って欲しいというだけでなく「いい大学に入るには、睡眠時間は3時間くらいで残りは勉強しろ」という謎理論を持っている人でした。おかけで夜12時過ぎに寝て毎朝4時に起こされる生活をさせられ散々でした笑。まあ、ルキナの話はこれくらいにして、
親が「良い学歴を持つ・特定のスキルを持つことが幸せに繋がる」と考えることは、子供に大きなプレッシャーを与えます。間違いありません。親が自分の未達成の夢や期待を子供に押し付けると、子供はその期待に応えようとするあまり、自分自身の興味や能力を抑圧することもあります。
また、親が特定のスキルに過度に焦点を当てることで、他の重要なスキルの発達が疎かになる可能性もあります。良くある感じなのは、勉強をやり過ぎて対人スキルが極度に下手なことですよね。
人間はあらゆる掛け算によって成り立っており、一つのスキルだけでなく、さまざまなスキルや経験、感情がその人間を形成します。
↓これらの問題を防ぐためには
2 理解しておかなくてはいけないこと
人間は、ついつい「これさえあれば」なんて考え方をしてしまいます。「学歴が良ければ」「痩せてさえいれば」「身長がもう少し高ければ」などなど、このようなことを考えます。先ほども言いましたが、人間はあらゆる掛け算によって成り立っており、一つのスキルだけでなく、さまざまなスキルや経験、感情がその人間を形成します。
対策はシンプルであり[万能なスキルはない]と理解することです。言われれば当たり前の事実ですが、何かに挑戦するときは「これをできるようになれば」なんて考えがよぎってしまうものです。上手くいかなかったとき、失敗したときなどに「万能なスキルはない」という認識を持っておくことで、すぐに切り替えられたり、必要以上に落ち込むことはなくなります。つまりは、無駄な執着を無くせるという事です。
3 無能な親を自覚して脱却する
無能な親は「〜さえできていればもっと幸せになれる」こんな勘違いをしています。そして、子供に勉強とかスポーツとか強要させたりして「とりあえずこれをやっておけば損しないから」などといった"言い訳"をします。言い訳といったのは、自分の経験や世間の常識から正解っぽいことを子供にやらせているにすぎないからです。もっと言えば、"自分の子に何をさせるのが最適なのか"ということが分かっていないから、正解っぽいことをやらせます。
それでは、何をすればいいのか
①万能なスキルは存在しないことを理解する
②子どもの独自の興味、情熱、才能を尊重する
①について、万能なスキルはないことを理解することは非常に重要で、「これは教えておきたいのに、、、」といった執着を減らすことができます。本当に伝えたいことはそんなに多くないはずです。少ない数に絞って伝えるからこそ、子どもの印象にも残るものです。
②について、これからの時代は"多様性"が加速します。つまりは、今まで以上に無難な解が存在しなくなっていきます。その中で重要になることが『個性』です。『その人にしかできないこと』というのが重要になります。そのような世界に移り変わっていくにも関わらず、周りと似たり寄ったりのことを強制させるのは愚の骨頂というものです。子どもの好奇心は可能性の塊です。
4 総括
「これさえできるようになれば」と執着して努力するほど周りが見えなくなります。他のチャンスをみすみす見逃すというのが一番もったいないです。自分の絶対的な夢でないなら、執着しすぎずに「他にどんなものがあったっけ?」という余裕は持ちたいものです。
VR, ARは日常生活に普及しない
おはようございます、もしくはこんばんは。
整体にもっと早くいけばよかった、ルキナです。肩と頭が痛すぎて体が歪んでるのかなーって整体行ってみましたが、めちゃめちゃ歪んでました。肩こりが軽減され、歩いても疲れにくくなりました。
突然ですが、appleがARグラスを発表しました。appleが発表する前からARやVRは注目されていましたが、これらは本当に流行るのでしょうか。ルキナの見解ですが、結論、一部では流行る。もの珍しさから注目されていますが、スマートフォンの代替となるようなレベルになるのは10年くらいはないだろうと思っています。
なぜ日常生活に普及しないと考えるのか、また、それでもルキナはARとVRを使っていきたい理由というのを個人的見解で話していこうと思います。それでは目次です。
1 ARとVRの現状
深いところまで話しませんが、ARとVRの技術は確立されてきています。ですが、本格的に実用化(既存のものの代替、超越)というところまでは至っておりません。超便利ではありませんが、商品として展開できるレベルにまでは到達しているという状態です。このため、インフルエンサーたちは「技術革新は早いから、ARとVRの時代がすぐに来る」と言いますが、このような言葉には語弊があると思っています。
ARとVRの技術革新が進み、いくつかの分野で用いられるようになることはもうすぐだと思いますが、日常生活に溶け込んでくるのはまだまだ先だと思っています。認知はされているけど、自分では使わない状態がしばらくは続くかなと感じます(タブレット端末は便利だけど、使う人は少ないし、使いこなせていない人が多いとの同じ現象が起こると思ってます)。
2 一般人にARとVRが普及しない理由
まず前提として、ゲームや映画など一部のコンテンツをARやVRで楽しむというのはすぐに普及していく可能性は高いと考えています。ですが「パソコンはもういらないよね」「スマートフォンも必要ないよね」という時代は遥か先だと考えています。
2-1 VR/ARの利用上の障壁:価格、利便性
VR/ARが乗り越えなくてはいけない絶対的な課題は「価格」と「利便性」です。この2つのどちらかが欠けてしまえば普及することは絶対にありません。
2-1-1 価格
まず「価格」についてですが、普及させたい場合は何かと代替する必要があります。つまりは、代替したいものの価格と同程度を目指す必要があります。ちなみに、何かと代替することができない場合、それはゲーム機やオーディオ機器などといった一部の人が楽しむコンテンツに成り下がります。一般に普及するためにVR/ARが目指すのは「パソコンの代替」や「スマートフォンの代替」になります。
パソコンやスマートフォンの価格はいくらくらいでしょうか。10万円~20万円くらい?世の中はそんなに豊かな人であふれているわけではありません。格安のスマホ、中古のスマホを持っている人は山ほどいます。つまりは、新品で20万円以下程度、中古で5万円程度(中古の値段が下がるには数年かかります)になる必要がありそうです。また、大前提として「パソコンの代替」や「スマートフォンの代替」ができるレベルに技術が到達している必要があります。
2-1-2 利便性
価格だけでなく、利便性も追求する必要があります。スマートフォン改めて考えると最強の利便性です。ポケットにスッと入る、起動は一瞬、これらを他の手法で代替するなど途方もないことです。
VR/ARのグラスの利便性は皆無ですよね(わざわざゴーグルをつけなくてはいけません)。では、進化してメガネ型はどうでしょうか?これも問題があり、ポケットに入れて押しつぶれて壊れないか心配です(ケースに入れれば利便性が低下します)。
究極は常時装着型。案としてはコンタクトレンズなどでしょうか。実はコンタクトレンズにデバイスを埋め込んで、視界に表示させるという技術は存在しています。でも「コンタクトレンズを付けるのが怖い」という人もいます。これらをどう克服していくのか。
3 伝えたい事
「VR/ARが凄い!」と騒いで実際に使っていく人は恐らく少数で、「便利なんだなー」って傍観する人が多数でしょう。そして、おそらくあと10年は「VR/ARじゃなくて、こっちでよくね?」って言われ続けると思っています。クレジット決済を国民全員が使わないように、iPadの使用者がそんなに増えないように、本がKindleに完全に置き換えられないように、使う人・使わない人が出てきます。
そして使っている人と使っていない人で、生活が大きく変わると思っています。スマートホーム化も同じようなもので、知っている人(というか、やろうと決断して行動できる人)はより便利に暮らします。
VR/ARは簡単に普及しません。だからこそ実際に使って、使いこなすことが大きなアドバンテージになる、そう思っています。
努力は報われるの根拠
おはようございます、もしくはこんばんは。給料が昇給しません、ルキナです。給料の昇給が遅れているせいで、ボーナスも去年と同等です。悲しいです。
皆さん、努力はしていますか?それとも、努力をしていたという過去形でしょうか。努力は全員がするべきだとは考えてはいませんが、努力をしたのならその努力は報われるべきであるというスタンスです。今回は、努力は報われるというやや信じがたい題目で話していこうと思います。それでは目次です。
1 努力ができない理由
端的に言えば、努力ができない理由は、結果が出ないからです。考えてみるとわかりますが、行動には何かしらの結果が伴います。例えば、お菓子を食べると、美味しいという結果を得られます。隙間時間にスマホを見るのは、何か情報を得ようとして何かしらの情報が得られます。行動には結果が伴い、基本的には行動の直後に結果が得られます。
つまりは、行動による結果が直後に発生しない場合はイレギュラーで、それが目標を立てて努力をする難しさでもあります。
1-1 努力を支える戦略
上記の努力ができない理由をもとに考えるなら、努力の直後に結果が得られれば良いということになります。巷では、努力を支える様々なアドバイスがされています。例えば、ご褒美に買い物をする、ちょっと贅沢な食事をするなどといったプチご褒美を推奨されるわけです(ルキナにとってのプチご褒美は、美味いスイーツを緑茶をお供に食べること👍)。
まあ、こんなありきたりなことが言いたいのではなく、努力をすることそのもとに意味があるということを今回の記事では言いたいのです。努力の結果は目に見えていないだけで、存在しています。それを理解することで努力する理由づけとなり、努力を継続しやすくなると考えています。
2 努力の科学:脳への影響
2-1 神経可塑性
2-2 白質・灰質へのメリット
2-3 ストレス耐性の向上
3 行動を起こすことで得られるもの
努力が報われる根拠はもう一つあります(持論)。
「努力」=「行動を起こすこと」。行動を起こすことで得られることは「経験」です。経験とは、何か行動を起こしてみなくては得られないものです。そして、人間は様々な経験を通して、自分なりの価値観を形成します。小さな経験が時間とともに蓄積されて、大きな変化や進歩につながると考えています。
経験はただの出来事ではなく、私たちが成長し、進化し、自己を理解し、生活の質を向上させる道具なのです。
初音ミクとの結婚(彼らは見えている世界が違う)
おはようございます、もしくはこんばんは。ルキナです。
初音ミクと結婚された方いますよね。皆さんはどうお考えでしょうか。人によって考え方は大きく変わるのではないかと思います。今回もルキナ独自の視点で見ていこうと思います。それでは、目次です。
1 見えている世界が違う
始めに言っておきますが、初音ミクとの結婚に賛成も反対もしません。その現実を客観的に見て、考えてみたというのが今回の内容になります。
初音ミクと結婚された方は、周りから見たら変わった人に見られるかと思います(だからこそ注目されているわけですよね)。初音ミクと結婚された方のインタビューで「フィクトセクシャル*1は、脳内で会話ができてしまうんですよね」という発言を目にしました。これを見た時に「見えている世界は、我々が見ている世界と別物なのか」と思いました。ルキナのこの理解をもう少し的確に伝えるために具体例を挙げてみます。
VRをしている人があなたの目の前にいるとします。VRをつけている人は周りから見ると「変な人」のように見えます。ですが、VRを付けている「その人」にとっては、ある世界が"見えている"状態です。つまり、「その人」にとってはそれが現実なわけで、周りから否定することはできません(「今、サメに喰われそう!」みたいな。周りから見れば「そんなわけあるかい!」ってこと)。
2 テクノロジーと主観的な世界(テクノロジーでより平和な世界へ)
私たちが他人に対して不快感を示すのは、その人に共感できないからです。逆に言えば、他人の感覚に共感することができれば「確かに、あなたの言っていることが分かるかも」というように、平和的に話が進むと考えています。
ルキナは、テクノロジーの進歩により他人との感覚共有が可能になることで、人間の多様性が表面的でなく深層的に理解される時代が来て欲しいと考えています。テクノロジーの進歩を、より平和な世界にするために活用されて欲しいと願います。
現在のVRやARにおいても、他者の体験や視点を直接体験するための強力なツールとなりえます。例えば、VRテクノロジーを使用して、視覚障害者の日常体験を再現したり、異なる文化背景を体験したりするプログラムがすでに存在しています。このように、人々が普段接触することのできない体験を実感することを可能にしています。VRなどのテクノロジーが、新たな共感の形を生み出し、人々の相互理解を深めるのに役立つのではないかと考えています。