るきなの独り言

何かと考え込むので発散します

あなたのそれは親切ではない

 おはようございます、もしくはこんばんは。LANケーブル繋いだけど、通信速度が変わらなくて悲しいルキナです。LANケーブルって通信速度が安定するだけでなく速くなるものだと思っていたんですが、残念です。

 

 人に親切をすることは良いことです。しかし、良かれと思ってやったことも相手にとっては迷惑となることもあります。その境界線はどこにあるのでしょうか。

 今回は、親切とは何なのか、ルキナの考える人に感謝される親切の定義をお話ししていきます。それでは目次です。

 

1 親切が迷惑がられる理由

1-1 恩の押し付け

 親切な行為が相手にとって迷惑な場合は、この"恩の押し付け"が一番多いと思っています。では、恩の押し付けはどのような場合に起こるのでしょうか。

 それは、相手ではなく自分のことしか考えていない場合です。具体的には、「自分が感謝されたい」「自分が凄いと思われたい」「自分の言ってることの方が正しい」という考えのもと行動している場合でしょう。そして中には、"報酬"も望むことを目的としている人もいます。感謝の意を示すのは相手次第にも関わらず、勝手に恩を売って報酬を得たがるんですよね(今は会わなくなりましたが、そんな人いました。。)。


1-2 相手のニーズに合わない行為

 親切をする際に、相手のニーズに合わないものを提供してしまうと、受け入れられない場合があります。例えば、食事に一緒に行ったときや食べ物のプレゼントをしたときに、相手のアレルギーや好みに合わない食べ物を提供してしまうとそれは残念ながら、迷惑行為になってしまいます。相手のことを想って行動するのであれば、好きなもの、苦手・嫌いなものを知っておくことは大前提ということです。"思い込み"で行動されるほど迷惑なことはありません

 ちなみに、電車で席を譲るなどもこれに当たるかもしれません。「私は席を譲られたくない(年寄り扱いされたくない)」という人は、席を譲ってほしいというニーズはありません。非常に難しいところです。


1-3 相手が自分で問題解決できる場合

 相手が自分で解決できる問題に介入してしまうと、相手は「自分のことを信用してくれていない」と感じるようになり、信頼関係が損なわれることがあります。必要以上の親切はただのおせっかいです。線引きが非常に難しいですが1つの方法としては、「いつでも助けになるというサインを出しておき、手助けを求められたら共に考えるというのがよいでしょう『嫌われる勇気(著:岸見 一郎 、 古賀 史健)』」

 また、相手が自分で解決できる問題であっても、不必要に介入してしまうことで、自分の能力を信じられなくなり、自分で問題解決ができないと感じるようになる可能性もあります。親や教育者は、子どもの"可能性を信じて見守る"ということが大切です。


1-4 相手が受け入れることにストレスを感じる場合

 こちらは端的に言えば、生活習慣をガラッと変えるアドバイスなどです。人間には、統一・一貫性の本能があるため、変化を極端に嫌います。例えば、新しく運動習慣を身につけたり、洋服の系統を変えたり、早寝を習慣にするなどといったことにはとてもストレスがかかります。そのため、生活習慣をガラリと変えるようなアドバイスは基本的には受け入れられません。相手からアドバイスを要求された場合は答える、というくらいで良いと思います。

 

2 親切とは何か

 本記事のメインディッシュですが、親切とは何でしょうか。親切とは"相手が有り難いと感じること"だと思っていますが、先述の通り、良かれと思っても相手から拒絶される場合もあります

 "親切"="相手が有り難いと感じること"の公式を成り立たせるために、カウンセラーとかが言いそうなことは、「相手のことを良く考えて!」「人を心から幸せにしようとすれば、それは相手に伝わりますよ」などですかね。そんな抽象的なことでは良く分からない、という人は多いと思います。安心してください、ルキナが答えを出します。

 親切とは、「相手を幸せにしようとすること(今よりも良い状態を目指そうとすること)」ではなく、「相手を不幸から救う、もしくは相手が不幸にならないための行為」

 皆さんは、相手を幸せにしたいと思って親切をしようと思いますが、それは言うなれば「その人は"今が"幸せではない」と言っている事に他なりません。相手が、今の幸せを維持できるように手を差し伸べることが親切だと、ルキナは考えています。(脳の本能の統一・一貫性的にも現状維持は気持ちいい状態です)

 

3 人を幸せにしようとするのは親切ではない

 人を幸せにしようとするのは、素晴らしい志です。ですが、ルキナはそれは親切だとは思っていません。

 人を幸せにしようとするには何をするでしょうか。まずは、相手の好みや性格などを知り、そしてどれが一番喜んでもらえるか、何がいいだろうかと考えると思います。人に喜んでもらう事、人を幸せにすることは一朝一夕では無理です。このような自分の想いのこもった行為を親切などというしょっぱい言葉で収まるとは思いません。

 人を幸せにしようとするのは人を愛する事に他ならないと思っています(恋人だけでなく、家族・友人も含まれます)。自分の時間や感情、思考を切り売りしてまで、今よりも少しでも幸せになってもらいたいと思える人がいるというのは有り難いことです。

 

 今よりも幸せなろうとすることは簡単ではなく傲慢な態度なんだルキナは思っています。