るきなの独り言

何かと考え込むので発散します

あなたのそれは親切ではない

 おはようございます、もしくはこんばんは。LANケーブル繋いだけど、通信速度が変わらなくて悲しいルキナです。LANケーブルって通信速度が安定するだけでなく速くなるものだと思っていたんですが、残念です。

 

 人に親切をすることは良いことです。しかし、良かれと思ってやったことも相手にとっては迷惑となることもあります。その境界線はどこにあるのでしょうか。

 今回は、親切とは何なのか、ルキナの考える人に感謝される親切の定義をお話ししていきます。それでは目次です。

 

1 親切が迷惑がられる理由

1-1 恩の押し付け

 親切な行為が相手にとって迷惑な場合は、この"恩の押し付け"が一番多いと思っています。では、恩の押し付けはどのような場合に起こるのでしょうか。

 それは、相手ではなく自分のことしか考えていない場合です。具体的には、「自分が感謝されたい」「自分が凄いと思われたい」「自分の言ってることの方が正しい」という考えのもと行動している場合でしょう。そして中には、"報酬"も望むことを目的としている人もいます。感謝の意を示すのは相手次第にも関わらず、勝手に恩を売って報酬を得たがるんですよね(今は会わなくなりましたが、そんな人いました。。)。


1-2 相手のニーズに合わない行為

 親切をする際に、相手のニーズに合わないものを提供してしまうと、受け入れられない場合があります。例えば、食事に一緒に行ったときや食べ物のプレゼントをしたときに、相手のアレルギーや好みに合わない食べ物を提供してしまうとそれは残念ながら、迷惑行為になってしまいます。相手のことを想って行動するのであれば、好きなもの、苦手・嫌いなものを知っておくことは大前提ということです。"思い込み"で行動されるほど迷惑なことはありません

 ちなみに、電車で席を譲るなどもこれに当たるかもしれません。「私は席を譲られたくない(年寄り扱いされたくない)」という人は、席を譲ってほしいというニーズはありません。非常に難しいところです。


1-3 相手が自分で問題解決できる場合

 相手が自分で解決できる問題に介入してしまうと、相手は「自分のことを信用してくれていない」と感じるようになり、信頼関係が損なわれることがあります。必要以上の親切はただのおせっかいです。線引きが非常に難しいですが1つの方法としては、「いつでも助けになるというサインを出しておき、手助けを求められたら共に考えるというのがよいでしょう『嫌われる勇気(著:岸見 一郎 、 古賀 史健)』」

 また、相手が自分で解決できる問題であっても、不必要に介入してしまうことで、自分の能力を信じられなくなり、自分で問題解決ができないと感じるようになる可能性もあります。親や教育者は、子どもの"可能性を信じて見守る"ということが大切です。


1-4 相手が受け入れることにストレスを感じる場合

 こちらは端的に言えば、生活習慣をガラッと変えるアドバイスなどです。人間には、統一・一貫性の本能があるため、変化を極端に嫌います。例えば、新しく運動習慣を身につけたり、洋服の系統を変えたり、早寝を習慣にするなどといったことにはとてもストレスがかかります。そのため、生活習慣をガラリと変えるようなアドバイスは基本的には受け入れられません。相手からアドバイスを要求された場合は答える、というくらいで良いと思います。

 

2 親切とは何か

 本記事のメインディッシュですが、親切とは何でしょうか。親切とは"相手が有り難いと感じること"だと思っていますが、先述の通り、良かれと思っても相手から拒絶される場合もあります

 "親切"="相手が有り難いと感じること"の公式を成り立たせるために、カウンセラーとかが言いそうなことは、「相手のことを良く考えて!」「人を心から幸せにしようとすれば、それは相手に伝わりますよ」などですかね。そんな抽象的なことでは良く分からない、という人は多いと思います。安心してください、ルキナが答えを出します。

 親切とは、「相手を幸せにしようとすること(今よりも良い状態を目指そうとすること)」ではなく、「相手を不幸から救う、もしくは相手が不幸にならないための行為」

 皆さんは、相手を幸せにしたいと思って親切をしようと思いますが、それは言うなれば「その人は"今が"幸せではない」と言っている事に他なりません。相手が、今の幸せを維持できるように手を差し伸べることが親切だと、ルキナは考えています。(脳の本能の統一・一貫性的にも現状維持は気持ちいい状態です)

 

3 人を幸せにしようとするのは親切ではない

 人を幸せにしようとするのは、素晴らしい志です。ですが、ルキナはそれは親切だとは思っていません。

 人を幸せにしようとするには何をするでしょうか。まずは、相手の好みや性格などを知り、そしてどれが一番喜んでもらえるか、何がいいだろうかと考えると思います。人に喜んでもらう事、人を幸せにすることは一朝一夕では無理です。このような自分の想いのこもった行為を親切などというしょっぱい言葉で収まるとは思いません。

 人を幸せにしようとするのは人を愛する事に他ならないと思っています(恋人だけでなく、家族・友人も含まれます)。自分の時間や感情、思考を切り売りしてまで、今よりも少しでも幸せになってもらいたいと思える人がいるというのは有り難いことです。

 

 今よりも幸せなろうとすることは簡単ではなく傲慢な態度なんだルキナは思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今を生きているわけではない

 

 おはようございます、もしくはこんばんは。お酒は最弱、ルキナです。カクテル系3杯で頭痛がします。3日酔いになります。はっ!3杯で3日酔いなら4杯で4日酔い?(勘弁してくれ、、、)

 

 私たちは、「今を生きよう!」とよく言われます。これはどういう意味なのでしょうか。今を生きることとは、過去や未来を切り離して行動する事です。極論を言えば、今を生きることが重要だというのであれば、過去や未来の記憶は必要なく、今の記憶しかいらないという事にもなります。ですが、今の記憶しかないのは幸せとは思えないですよね。

 それでは、「今を生きる」とはどういう意味なのでしょうか。それを深堀していきます。それでは、目次です。

 

 

1 過去や未来について


1-1 過去や未来の役割とは

 過去や未来は、私たちが今生きていく上で欠かせない役割を担っています。過去には、私たちの人生経験や知識が大量に蓄積されており、今の状況に対して適切な対応をするための知恵や経験が詰まっています。また、未来には、私たちが設定した目標や希望、夢が存在しており、それらを実現するための指標や方向性が詰まっています

 一言で言うなら、過去や未来は、今を生きる上で必要不可欠な「道具」として存在しています。


1-2 過去や未来にこだわることの問題点

 しかし、過去や未来にこだわりすぎることには問題点があります。まず、過去にこだわりすぎると、過去の出来事や失敗にとらわれてしまい、現在の状況に対して適切な対応をすることができなくなってしまう可能性があります。

 例えば、仕事で失敗したことがある人は、その失敗にとらわれてしまい、同じような失敗を恐れて何も行動できなくなるかもしれません。このように、過去の経験にとらわれると、新しいチャレンジに取り組むことを避けてしまう可能性があります。

 また、逆に未来にこだわりすぎると、将来の不安や不確定性に対して過剰なストレスを感じることがあり、現在を十分に生きることができなくなってしまう場合もあります。未来や夢のために動き続けていると、心が疲れ切ってしまいます。

 ルキナの昔の座右の銘は、「気分やモチベーションに頼らない」でした。ですが、理由もなく疲れることが増え、生きることが楽しいと感じられなくなってしまいました。その後、少しは気分に合わせて行動することも大切だと学び、今を楽しめていると感じます。

 

2 過去もない、今もない、未来もない

 過去、現在、未来のどれかに執着してしまっている時点で間違えています。「今この瞬間を生きよう!」と考えることは逆に、"今"に執着し過ぎています。過去もなく、今もなく、未来もなく、全てをひっくるめての私たちの人生です。

 「今を生きる」という表現は、過去や未来を無視することではなく、現在の状況に対して目を向け、その状況に対して最善の行動を取ることを意味すると解釈しています。 

 もっと簡単に言えば、過去の経験から学びを得たり、将来の計画を立てることも重要ですが、過去や未来は今の状況に適切な対応をするための"道具"であるということです。

 

3 過去や未来を道具として活用する方法


3-1 過去を道具として活用する方法

 過去は、今の自分を形成する上で重要な役割を果たしています。当たり前ですが、過去の経験や失敗から学び、成長することができるからです。

 過去を道具として活用するためには、まずその経験を冷静に振り返り、何が起こったのか、何がうまくいかなかったのかを客観的に分析することが重要です。過去に失敗した経験は山ほどあると思います。過去の原因を考えて対策をするというのでは不十分です。より重要なポイントが、"自分を知ること"です。

 失敗には自分の特性が隠れているものです。このような失敗をしてしまったのは、自分のどんな特性があったからだろうかという事を知るのです。調子に乗りやすいのか、せっかちなのか、急ぐとボロが出やすいのか、他のことを考えるときが散りやすいタイプなのか、などといった自分の特性を知ることで、ミスを生み出しにくい環境をつくることができます。失敗をしたくないなら、失敗をしない環境にする。その第一歩が、失敗から自分の特性を知ることです。

 

3-2 未来を道具として活用する方法

 未来もまた、今の状況に適切な対応をするための道具として活用することができます。例えば、「これを買いたい!」と思ってお金が足りなかったらお金を貯める必要があります。お金を貯めるという目標に向かって計画を立て、行動していくわけです。「~したい」「~になりたい」という将来の希望的願望は、私たちの原動力になるわけです。つまり、未来はモチベーションとして道具になるという事です。

 将来を見据え、これからどうするのかを考えることこそが今を生きることにつながるルキナはそう考えています。

 

 今を生きようとして、将来を見ないふりをすることは逆効果です。「今のままでいいのか」「もっとお金を稼げるようになるにはどうしたらいいのか」など、このような将来の不安を考えないようにして、今を生きようとすることは、将来をもっと不安に感じさせる行為です。

 未来を考え、これからどうするかを考えていきたいものです。

 

未来のスマホ依存者の末路

 おはようございます、もしくはこんばんは。ゲームに熱中できなくなってしまったルキナです。昔は時間も忘れて熱中していたのですが、今はすぐに飽きてしまいます。少し悲しい気もしています。

 

 皆さんは、スマホ依存っていう自覚が多かれ少なかれあるかと思います。例えば、ゲームをしながらアニメやYouTubeを見たり、食事やお風呂中のスマホ、寝る直前までスマートフォンを使ってしまっていたりなどです。特段使わなくてもいいけれど、使ってしまっている状態ですね。

 このように、理由はないけど落ち着かないという状態は依存症の状態です。今回は、未来人のスマホ依存症の末路ついてお話していきます。では、目次です。

 

1 全国民がスマホ依存

 見方を変えれば、全国民と言っていいほど全員がスマホに依存しています。それは、電気やガス、水道といったものと同じようにライフラインとして必須になってきているという点です。我々は、電気・ガス・水道に依存した生活をしており、スマホも仲間入りしてきているということです。

 スマホ依存症についてよく言われているのが、

"スマホを無くした=落ち着かない・焦る"⇒スマホ依存症

ですが、この理論は少々横暴だと考えています。スマホはもはやライフラインの1つで、電気やガスと同様で、なければそりゃ焦るものです。

 では、スマホ依存症とは何を指しているのでしょうか。

 

スマホ依存症とは

 依存症の定義は非常に難しいところです。ルキナは医者ではないので何とも言えませんが、個人的にわかりやすい定義があります。それは、"中毒症状が出ているか否か"です。スマホ中毒の症状は下記になります。

睡眠障害

スマホ

急性スマホ内斜視

・集中力低下

スマホを使わないと落ち着かない、ストレスを感じ

スマホを使用する時間が増え、時間の感覚が麻痺する

いくつか当てはまった方は、スマホ依存症とみていいかもしれません。

 

2 スマホ依存症の末路

 スマホ依存症になった方の末路は、現代と未来で大きく変わってくると考えてます。

・現状のスマホ依存症の方

 (下記はフィクションです)

 ある日、少女はスマホに夢中になっていた。友達とのチャット、SNSでのいいね!やコメントに夢中になり、日中も夜もスマホを手放さなくなっていた。授業中にもスマホを触り、宿題をする時間もスマホに費やしてしまっていた。

 そのうちに、少女は夜中にもかかわらずスマホを手放せなくなった。スマホを使わないように電源を切っても、再起動してスマホに向かっている自分に嫌気がさしていた。スマホを使いすぎたために睡眠不足になり、学校でも成績が下がり始めた。

 少女は、スマホに支配されるようになっていた。スマホがないと落ち着かなくなり、スマホを使わない時間が怖くなっていた。スマホを手放すことができなくなっていった。

 

 およそこんなところでしょうか。まとめると、日常生活がスマホによって浸食されて、生活に支障が出る、といったところだと思います。

 

・未来の情報依存症の患者

 末路をお話しする前に、スマホについて未来予測が必要です。

 我々は、少しの時間があればスマホを開いて情報を入れています。これは文明の進化の途中で偶然起こったものでしょうか?違います。これは、SNSなどを立ち上げた会社の従業員が、スマホに依存するように作成しているからです。

 このようなSNSに依存させるようなアプリケーションをつくる」という流れは止まらずに加速し続けると思っています。なぜなら、資本主義の社会で、自分の利益を上げなくては生きていけないからです。つまり、現状で既に依存し始めてしまっている人は今のうちに対策しなくては、新たなサービス、アプリによって重度の依存症になり、習慣や人生観が壊れる可能性があるという事です。

 つまり、未来のスマホ依存症とは、アプリ開発者のマリオネットになるという事です。自らの意思はなく、開発者が狙った通りの行動をするだけのお人形さんです。スマホと食事が少しあれば生きている、そんな人が出てくるのではないかと思っています。イメージは湧かないかもしれませんが、世の天才たちは必ず成し遂げてきます。仮想世界も目前です。

 世の中の天才は想像を超えるようなものを開発してきます。手遅れになる前に、情報を取り入れることに執着せずに自ら考えることを習慣にしていきたいものです。

 

3 今日から始めるスマホ依存症の脱却法

 実際には依存症と言われるだけはあり、言葉だけのアドバイスだけでは不十分です。例えば、パチンコ依存症の人に、お店に入る前に「ただの時間とお金を浪費しているということを思い出してください」と言うのは、何のアドバイスにもなりません。

 仕組みで解決する必要があります。パチンコ依存症の場合(重度の場合は精神科に行くしかないですが)、現金1000円以上持ち歩かないことと決め、パチンコを打ちたい場合はゲームセンターのものであれば週に1回OKとする。また、演出を見たいという言い訳を無くすために、スマホにパチンコのアプリを入れて満足させる、というような感じです(ビギナーズラックで依存症になりかけたルキナが実際に使った手法です)。

 脱却法は1つだけでは意味がありません。複数組み合わせることで効果を発揮します。可能であれば全て実行してください。

・脱却法1

SNSやメールの通知をオフにする:

 簡単なことですが、意外と難しいものです。ルキナはLINE以外は全て通知オフで、LINEも通知が来る人は限定しています。これにより、通知がくる=必要な情報、となるので"通知"としての本来の役割を果たせていると思っています。

 

・脱却法2

使用目的を明確にする:

 よく使ってしまうアプリの使用目的を再確認しておくことは有効です。ルキナの場合、YouTubeを何となく見てしまうことが多いです(ゆとりーまんみたいな物語系のはついつい面白くて見てしまいます)。

 ルキナYouTubeの使用目的は、「有用な情報を集めること」です。これに沿ってチャンネル登録も厳選し、開くたびに意識することを心がけています(まあ、娯楽コンテンツも見ると決めた時は普通に見ます(笑))。

 

・脱却法3

趣味や他の活動に取り組む:

 単純ですが、かなりの効果があります。ルキナに関しては、このブログです。「時間が空いた=何かブログのメモでも書き残しとこうかな」みたいな感じで隙間時間も有効に使えます(ブログのメモ書くためにスマホ使ってるやんけ、、。まあ、気にしない(笑))。

 

・脱却法4

アプリを一度消してみる:

 「もうこのアプリをいれない」と意気込まないことです。コツは、使用を先延ばしにするということです。人間は、先延ばしにすると「まあ、いっか」になっていきます。まあ、明日でいいか、また次でいいや、という感じで先延ばししていきます。使うのを控えたいアプリを一度消して、使用を2週間先延ばしにしてみてください。この2週間で時間を無駄にしていたというのを頭と心で深く実感できるはずです。

 一度ではなく、何度も何度も先延ばしにしてみてください。気づいたら使う頻度が前よりも減っているはずです。

 

4 総括

 SNSに依存させるようなアプリケーションをつくるという流れは加速し続けていきます。

 スマホやアプリへの依存は今だからこそ対策可能です。天才に抗いたい。

日本の教育に限界を感じた瞬間

 


 おはようございます、もしくはこんばんは。スマホのワイヤレス充電ができなくなったルキナです。ワイヤレス充電ができなくなるってなに?とりあえず機種変更しようか検討中です(iphone X、5年目だし、、)。

 

 ふと思い出したので、記事にしてみようというのが今回の内容です。

 日本の教育は遅れているだとか聞いたことはありましたが、それを実感したのが大学一年生の頃です。それでは目次です。

 

1 日本の教育の限界を悟った出来事

 ルキナが大学一年生の頃の話になります。講義内容は省略しますが、単位の評価方法は以下の通りでした。

・各講義に決められたテーマに沿って、グループでスライドをまとめて発表する

 (ただし、1人1スライドでまとめること)

 単位の内容的に、特段変わった評価方法というわけではありませんでした。

 

 ルキナの発表は、良いわけでも悪いわけでもなかったと思います。スライドは簡単にまとめ、原稿は覚えて発表に挑みました。評定はS, A, B, Cのうち、B判定でした。では、周りの方はどんな発表をしていたと思いますか?下記に特徴をまとめます。

・スライドはギチギチで文字が小さい(1スライドにまとめる必要があるため)

・発表は暗記せずに、スライドの丸読みもしくは原稿の丸読み

 分かりますでしょうか。日本の教育とは、"ただやればいい"だけです。努力や工夫は必要なく、無難にこなすことこそが吉ということです。ルールに沿ってやることだけをやればいい、それだけなんです。

 

2 大学教育に失望した大学2年生以降のルキナ

 この出来事をきっかけに、学校とはルールに沿ってやることだけをやればいいということを学びました。2年目以降は、愚直に頑張るということを捨てました。

・テストは過去問を利用し、必要最低限の勉強をする

・持ち込みOKのテストは、仲間と協力し大量のテキストを用意する

・レポートなどは言われた課題だけをこなし、言われた以上の内容は一切書かない

 結果、成績はどうだったと思いますか?ちなみに愚直に頑張った大学1年生の頃はGPAで2.5くらいでした(GPAとは、S, A, B, Cの評価を数値に換算したもの。オールAでGPAは3.0になります)。そして、大学2年目以降の成績ですが、GPA3.0でした(まあ、地方国立の大学で大したことないんですが、、)。

 学校なんて頑張る必要なんて全くないと悟りました。最小限の努力で上位10%程度の成績を取り、残りの時間は部活動やバイト、遊びに費やせます。効率の良い大学生活だったと思います。

 真面目な奴ほどバカを見る世界です。ルールを把握して、いかに楽をして評価されるかが最重要の教育方針が日本ということです(特に大学は教授陣が成績を決めるので、無難な評価法しかできないのです)。

 

3 大学在学中もしくはこれから大学に入学する方へ

 ルキナは愚直に頑張っても好成績が取れなかった凡人です。凡人の言うことなので、さらっと気軽に聞いてもらえればと思います。

 

・大学は努力ではなく情報戦

 これはよく言われていることなので、わかっていると思いますが先輩として言わせてもらうとガチです。何なら情報さえあれば凡人でも簡単に好成績を取れます。大学はイージーです(高学歴と呼ばれる大学は除く)。

 

・就活は成績よりもどれだけ挑戦をしたか

 良い会社に入ろうと勉強ばかりしているのは良い戦略とは言えないと考えています。成績がずば抜けて良い場合は別ですが、ある程度良くても就活は有利になりません。就活では何に挑戦したか、自分で考えて何を成し遂げたのか(遊びでもOKです)、仲間と何で頑張ったのかなどが重要になります。

 

・やりたいことをやるには充分な時間がある

 勉強ばかりやっていたら時間は足りないですが、適当に授業を受け流していれば大量の時間があります。その空いた時間で何でもできます。

 ルキナの場合、少林寺拳法部の部活動、アルバイト、読書、飲み、知識の蓄積(YouTubeでタメになりそうな動画を漁りまくり、メモをとって勉強し続けました)などでしょうか。その中でも、大学の暇な時間に様々な情報に触れたことが、今のルキナにつながっていると感じます。

 大学の成績で高得点を取っても、正直今後の生活で役に立つとは思えません。そのため、ルキナは様々なことに時間を使って良かったと思っています。

 

 大学の時間をどのように使おうともその時間が戻ってくることはありません。多くの人の意見を参考に、今後の大学生活の時間を"自分らしく"使っていってもらえればと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ自分との約束を守れないのか

 


おはようございます、もしくはこんばんは。コーヒーは1日3杯ルキナです。午後3時以降は飲まないようにしているので、かなりハイペースでコーヒーを飲み進めます。コーヒー好きなんですよね。

 

 さて、自分との約束を守るのって本当に難しいですよね。これくらいはできるだろうと思って設定した目標も達成できないと、自分に自信を失っていってしまうものです。そのうち、「自分はダメだから」というレッテルを自分に貼ってしまって挑戦することを諦めてしまいます。

 なぜ自分との約束を守ることができないのかを明確にできれば、おのずと解決策も見えてくるものです。今回は、自分との約束を守れないのはなぜか、という事と、具体的な対策のアプローチについてもお話しします。では、目次です。

 

1 他人との約束はある程度守ることはできる

 自分との約束を守ることはできないけれど、他人との約束ならある程度は守れている人が多いと思います。例えば、友人との待ち合わせ、上司から任させた資料作成などでしょうか。他人との約束が守れるということは、「○○時に集合はできる」「自分は、~までにこれをする力がある」というように、"自分の能力を把握できている"ということです。

1-1 他人との約束を守れないときとは

 逆に言えば、自分の能力を超えていたり自分の能力を適切に把握できていない場合は約束を守ることができません。

 

・自分の能力を超えた約束

 自分の能力を超えた約束の例と言えば、仕事での無理な納期、唐突のスピーチ、学校の大量の宿題などでしょうか。能力が高い人は達成可能ですが、能力が足りていない人は達成不可能です。約束を守れるか否かは、"能力"に依存するとも言えます。

 

・自分の能力を適切に把握できていない場合

 これが非常に厄介で、今回の話でとても重要な内容になります。こちらも例を挙げるなら、上司から「これはあとどのくらいでできる?」と聞かれて、「1時間でできます」と答えても思った以上に時間がかかり、1時間半くらいかかってしまうなんてことはざらにあります。人間は、自分の能力を過剰に認識してしまう傾向があり、『エッセンシャル思考(著:グレッグ マキューン )』でも自分が見積った時間の1.5倍で設定するのが丁度良いと書かれています。

 このような自分の能力を正しく認識できないことについては、"ダニング=クルーガー効果"が有名です。端的に言えば、能力の低い人は自分の能力が高いと過剰評価し、能力の高い人は自分の能力を適切に判断できるということです。

 つまり、自分の能力を適切に把握できていない場合は約束を守ることができないという事です。

 

【ダニング=クルーガー効果(詳細)】*1

 実験において、学生たちにある課題を解かせ、その後自分の解答を評価してもらうようにしました。その結果、解答が最低レベルである学生たちは、自分の能力について非常に高い評価をしていることがわかりました。一方、高い能力を持つ学生たちは、自分の能力について適切な評価をしていました。

 著者らは、この結果から、自分の能力を正しく評価することは、その能力に対する知識が必要であると考えました。つまり、ある能力について十分な知識があれば、自分の実力を正確に評価できるということです。一方、無知な人は、自分の能力を過大評価してしまいがちであると指摘しました。

 

2 自分との約束は守れるわけがない

 皆さんは自分との約束と聞いて、どのようなものを思い浮かべますでしょうか。

・週に3回は運動する

・月に1冊は本を読む

・無駄な買い物はしない

・掃除をする

 

 これらを見てどう思いますか?解決能力に依存しているでしょうか?(運動をすると決めた場合は、運動神経に依存するかという意味です)

 自分との約束とは、解決能力ではなく、意志力・理性・根性といった目に見えない力に依存しているという事です。ここで重要になってくるのが、自分自身の意志力・理性・根性といったものを正しく把握できていますか?ということです。

 先ほどの章でお話しした通り、自分の能力を適切に把握できていない場合は約束を守ることができません。ダニング=クルーガー効果に則れば、意志力が極端に低いにも関わらず、意志力を過剰に高く評価している場合、自分で決めた約束や目標を達成するなんて不可能です。

 つまりは、容易に達成可能と思っていても、実際は自分自身に無理難題を吹っかけているのです。他人の力を借りて目標達成しようとしてもできないのは、目標があまりにも高すぎるからです。

 一方で、自分との約束を守ることができる人は、ダニング=クルーガー効果に倣えば、意志力が高いため自分自身を正しく認識でき、自分との適切な約束(目標)を設定できるということです。

 

3 自分との約束を守るには

 以上のことより、自分との約束を守るためには2つのアプローチがあります。

・自分自身の意志力などを把握する事

 無理な約束や目標を設定しないためには、自分の能力をある程度正確に認識しておく必要があります。繰り返しになりますが、自分が有している能力以上の目標は達成できません

 自分の意志力・理性・根性といった能力を定量化するためには、具体的な目標を設定し、その達成度合いを客観的に測定することが必要です。例えば、ダイエットのためにお菓子を食べる頻度を減らすことを目標とする場合、まずは1週間に何回お菓子を我慢しようとして食べてしまったかを数え、それを減らすことを試みます。ストレスなどの外的要因にもよりますが、全ては現状把握から始まります。

 ちなみに、意志力は向上することが分かっています*2。つまり、意志力が一定以上になれば、自分自身の意志力をある程度正確に認識して、適切な目標設定ができるようになるという事です。そうなれば、わざわざ現状把握の必要がないので人生イージーモードになります。

 

・モチベーションによって意志力を底上げする

 モチベーションは意志力に影響を与えます*3。感覚的にも分かるかと思いますが、モチベーションが高いと何かと長続きしやすいです。では、やる気が上がりやすい約束とは何でしょうか。

 ルキナ的には、「こうなりたい」という目標ではなく、「達成したその瞬間から気持ち良くなれる」という点にフォーカスするのが良いと考えています。例えば、早起きしたい場合、ルキナは朝起きてカフェインレスの紅茶を飲むことで気持ち良くなれます。他には、休日の午前中は作業すると決めた場合、コーヒーを飲む量に制限をかけていません。ネスプレッソで好きなだけコーヒーを飲んで気持ち良くなれます(飲みすぎ注意(笑))。

 余談ですが、こちらのネスプレッソはコンパクトかつスタイリッシュで価格も安いので買ってよかったです。

 

カプセルはこれですね。セール時であれば、一杯60円くらいの値段になります。

 

 

 

4 総括

 自分との約束を守れないのは、あなたの能力が足りていないというよりも、目標が異常に高いことが原因です。意志力は目に見えないので難しいですが、適切な目標であれば達成できるはずです(人との約束は守れているのですから)。

 まずは、自分のモチベーションや気分が上がることを探してみるところから始めてみると楽しいかもしれません。

 

 

 

 

*1:Kruger, J., & Dunning, D. J Pers Soc Psychol. 1999. 77(6). 1121-1134.

*2:Baumeister, R. F., Gailliot, M., DeWall, C. N., & Oaten, M. J Pers.2006. 74(6). 1773-1801.

*3:Schmeichel, B. J., Vohs, K. D., & Baumeister, R. F. J Pers Soc Psychol. 2014. 107(4). 781-801.

自分を好きになるには

 こんにちは、健康診断が不安なルキナです。血液中の脂肪が多いって診断が出てからちょっと不安です。

 

 最近の若者は、自分に自信がありません。自己肯定感が低いといってもいいかもしれません。自分も最近の若者の部類に入りますが、自己肯定感は高いと思っています。そのため、自己肯定感を上げるにはどうしたらいいのかという相談をとても受けます。

 なぜ自己肯定感が低いのか、まずは何を始めたらいいのか。

 それでは目次です。

 

1 自己肯定感とは何か?

 当たり前なことを話すので、飛ばしていただいても大丈夫です。自己肯定感とは、自分自身に対する肯定的な評価や自己評価のことを指します。自己肯定感が高い人は、自分に自信を持ち、自分自身を受け入れ、自分自身について肯定的な見方を持つことができ、自分を好きと感じることができます。一方で、自己肯定感が低い人は、自分自身について否定的な見方を持ち、自分に自信を持てず、自分自身を受け入れられない傾向があります。つまり、自分の短所ばかりに目が行き、自分自身を好きにはなれない状態です。

 

2 自己肯定感が低いとどうなるのか?

 自己肯定感が低い人は、うつ病、不安障害、自殺念慮のリスクが高くなると報告されていたり*1、自己肯定感が低い人は、社交不安や社会的な孤立、問題解決能力の欠如、自己傷害のリスクも高まることが報告されています*2

 自己肯定感が低い人は、自分自身に対する否定的な評価を繰り返すことで、自己評価が下がり、自己効力感が低下します。自己効力感とは、自分が目標を達成する能力に対する信念のことで、自己肯定感が低い人は、自分が目標を達成できるという自信を持てなくなるということです。つまり、自分自身に対して厳しい基準を設定し、結果的に過度なストレスを抱えることがあります。百害あって一利なしということです。

 

3 最近の若者の自己肯定感が低い原因

3-1 社会的な比較意識が強まっていること

 最近は比較するのが当たり前になってきてしまっています。その原因はやはりSNSです。SNSやインターネットを通じて世界中の情報や成功事例が瞬時にアクセスできるため、自分と他人との比較が容易になっています。いつでもどこでも誰とでも競い合うようになってしまったわけです。レベルの高いライバルが増えたと言えば聞こえはいいですが、実際はほとんどの人は傍観者になります。その理由としては、高いレベルに憧れるけれど、比較しているレベルが高すぎで、小さな努力では近づけないように感じるからです。

 そして、今は答えがネットに転がっているという事もあり、「成長するためのうまいやり方はないか」という事をばかりを探しますが、結局は見つかりません(結局は小さな努力が必要です)。これにより、レベルアップをあきらめて、惰性で続けて「自分はこんなもんでいいや」という自己認識が染みついてしまうのです。
 また、"社会的な成功基準が高くなっているように感じている"、というのも大きな要素と感じます。全世界で比較できるようになってしまったため、自分自身の中で、地方で一番程度では不十分と感じるような価値観が埋め込められてしまっているのではないかと感じます。実際には、友人が地方で1番を取ったとか、副業で月に3万円稼げるようになったとかいう話をしてきたら、「素直にすごい!」と思えるのですけれどね。

(自分の成功となると、人一倍に審査が厳しくなるという。自分に厳しすぎる人が多いように思います)

 

3-2 挑戦をしない(失敗経験が少ない)こと

 人間は誰しもが失敗するものですが、失敗を恐れ過ぎです。つまり、「失敗=恐怖」と認識しており、失敗しないようにと考え過ぎるほど挑戦しなくなります。

 皆さんはどれくらい失敗してきたでしょうか。例えば、発表の時に言葉が詰まってしまった、挨拶をしっかりできなかった、提出資料に不備があった。これらも程度の差はあれど、失敗は失敗です。つまり、失敗を失敗として認識しておらず、成長の糧とできていない人がものすごく多いと感じています。皆は、失敗=周りをがっかりさせてしまうような大きなこと、と考え過ぎです。皆さん、失敗経験は山ほどありますが、気にしていなすぎなのです。それなのに、大きな挑戦となると失敗を避けて挑戦しないんですよね。当たり前です。「失敗経験に慣れていない」と思っているのですから。

 大きなことに最初から挑戦する必要なんてありません。日常生活の中で、失敗したなと感じたことを改善していけば、それが成功体験に繋がります。失敗経験や成功体験は小さなところから積み上げてこそ、大きな力となってくれます。そして、その小さな一歩を踏み出すチャンスは日常に溢れ返っています。

 

3-1 過保護な育児環境がもたらす影響

3-1-1 失敗を恐れる環境の形成

 過保護な育児環境によって、失敗を恐れる環境が作られているのではないかと感じます。過保護な親は、子どもに挑戦や失敗をしてほしくないものです。なぜなら、少しでも危険は避けたいというのが親心だからです。

 これは完全に私の想像ですが、過保護な親は「危ないことしちゃだめ」「砂遊び・虫は汚いから触らないで」「あまり心配かけないで!」~しないで、といったようにして子供の行動に制限をかけてしまっているのではないかと感じます。それにより、挑戦や失敗するという環境を持つことができない子供もいるのではないかと思います。また、「失敗してはいけない」という環境で育つことで、何もかも完璧にやらなければならないというプレッシャーがかかり、完璧主義になりやすい可能性もあります。

 過保護な親は、子供たちを「守る」ために、彼らが自分で問題を解決することを学ぶ機会を奪ってしまうことがあるかもしれません。その結果、子供たちは自己肯定感を高めるために必要な問題解決能力や、自分で行動を起こす能力を欠いてしまう可能性があります。

 成人した後でも、挑戦≒危険を冒すこと⇒やらない、というマインドができてしまっている可能性も否めません。


3-1-2 親ができること

 上からの話で予想はつくと思いますが、

 子どもの挑戦を見守り、失敗したときや子供が助けを求めている時は、共に悩み、意見を出し合い、子どもの主体性を支える行動を心がけなくてはいけないという事です。

 子どもの成長には、挑戦や失敗が欠かせません。親が完全に子どもを守りすぎると、子どもは自分で物事を判断し、リスクを取る力や成長する機会を失うことになります。しかし、親が無関心だったり、子どもを見捨てたりするのも問題です。親は子どもの成長を見守り、必要に応じてサポートやアドバイスを提供することで、子どもが自分自身でリスクを取りながら成長することを支援することが大切です。

 

3-2 うつ病や不安障害の発症

 これに関しては、鶏が先か卵が先かという問題はあります。つまり、自己肯定感が低いからうつ病や不安障害を発症しやすいのか、うつ病や不安障害を抱えているから自己肯定感が低くなりやすいのかということです。しかし、ここで話す内容は、うつ病や不安障害の発症リスクを上げる要因を抽出しているため、うつ病や不安障害の発症リスクの低減⇒ありません。遺伝的な傾向がある場合、ストレスや環境の変化に敏感に反応し、うつ病や不安障害を発症しやすくなります。

 

3-2-1 遺伝的要因

 こればかりはどうしようもありません。遺伝的な傾向がある場合、ストレスや環境の変化に敏感に反応し、うつ病や不安障害を発症しやすくなります。これの対策としては、下記に示した3点のうつ病や不安障害を発症させやすいものの対策を人一倍取るべきとしか言えません。

 

3-2-2 社会的孤立

 SNSやオンラインゲームなどのテクノロジーの進歩により、人との対面コミュニケーションが減り、社会的孤立が進んでいるため、うつ病や不安障害を発症するリスクが高くなります。

 何とかしようとして人と話そうとするから疲れます。まずはカフェやショッピングモールにでも行ってみて下さい。店員さんと無理に話をする必要はありません。人がたくさんいるところで作業をする・買い物をするというのは孤独感が紛れます(個人的感覚で、根拠はない)。ルキナは何の目的もなく出かけることが多々あります。


3-2-3 ストレス

 Selyeは、「ストレスは、生物にとっての不快な状態や環境要因に対する非特異的な反応のこと」と定義しました。現代社会では、仕事や学校、家庭などで多くのストレスを抱えることが多く、うつ病や不安障害を発症するリスクが高くなっています。スマホやゲームなどでストレス発散しようとするため、脳に負担がかかり、ストレス解消ができていないと推測されます。実際に、研究で明らかになった、最もストレス解消効果が高い行動は”読書”です。


3-2-4 睡眠不足

 長期的な睡眠不足は、身体的、認知的な負担を引き起こし、うつ病や不安障害のリスクを高めます。現代人は不眠症に悩まされているため、注意が必要です。特に、普段からスマホを使っている人は要注意です。ルキナなりの提案としては、99%ブルーライトカットのメガネがあります。就寝の2時間前程度から着けていると、よく眠れます。

 寝る前までスマホを使いたいというわがままさんには特におすすめの商品です。

 

 

 

4 自己肯定感を高めるためにできること

 ここでは、「成功体験を積みましょう!」とか「自分に優しくしましょう!」などといった当たり前すぎて何のアドバイスにもならないことは無しにします。

 いきなり核心に迫りますが、自己肯定感とは自分軸なんです。社会的な成功基準と自分なりの成功基準は、全くと言っていいほど別物で、これらを明確に区別して考える必要があります。改めて考えるとわかると思いますが、個人の幸福感や満足感といったものは社会的成功と比例していません。社会的に成功していても孤独を感じていて幸福とは程遠い人、逆にバイトで食いつないでいるけど毎日を楽しそうに生きている人。結局は、自分軸に沿って感情は決定されています。

 では、自分軸とは何でしょうか。

 社会的な成功基準に惑わされないという点においては、自分軸とは「こだわり」とも言い換えられると考えています。自分はこれが良い、自分はこうなりたい、自分はこれがしたい、など自分のこだわりは何だろうかと考えて、自分のこだわりを満たして自分に満足することが自己肯定感を高める手段の1つと考えます。

 はじめの一歩としては、「何でもいいよ」ではなく「これが良い!」を口癖にしていきたいものです。

 

 

 

 

*1:Neff, K. D. Social and personality psychology compass. 2011. 5(1). 1-12

*2:Fossati, A., Feeney, J. A., Donati, D., Donini, M., Novella, L., Bagnato, M., & Carretta, I.  Journal of Social and Personal Relationships. 2003. 20(1). 55-79

あなたはリフレッシュができていますか?

 

 おはようございます、もしくはこんばんは。アニメは一気に見る派のルキナです。

 

 皆さんはリフレッシュできていますでしょうか。そもそもリフレッシュとは何でしょうか。例えば、運動はストレスを軽減してくれるためリフレッシュとして活用している人も多くいますが、一方でダイエットのために運動を活用している人もいます。

 つまり、同じ作業や行為においても人によって解釈が異なるという事です。今回は、リフレッシュの基準は何なのか、リフレッシュの選定基準についてお話していきます。

1. 人間は気分や感情の生き物である

 人間は、その時の気分や感情で生きています。当たり前ですが、冷静に考えてみると面白い点です。例えば、気分が落ち込んでいる時にゲームをする時と気分が良いときにゲームをするのでは全然違うと思います。気分がいいときは楽しいし、イライラもしにくいです。人間は、同じ体験をしたとしてもその時の気分や感情によって体験が全く別物になります。

 本当に人間とは面白いものです。だからこそ、気分や感情を利用した心理学などが出回るわけです。人間という生き物を考える上では"気分"や"感情"を軸にして論理を展開しても何ら不都合はないわけです。

 

2. リフレッシュの基準とは

 人間は気分や感情の生き物だという話をしましたが、仮にその時の気分だけで行動し続けたらどうなるでしょうか。答えは、短期的な欲求に飛びつくだけの後悔まみれの人生になります。では逆に、気分や感情をないがしろにして、努力し続けたらどうでしょうか。予想がつくと思いますが、途中でガス欠します。

 気分で動き続けてはいけないし、努力し続けてはいけない。。では、どの程度の割合が良いのでしょうか。言い換えれば、どの頻度でリフレッシュすればよいのでしょうか。

 ルキナ的には、"個人差"と考えています。また、頑張り続けている内容の濃さにもよると思います。これでは何の参考にもならないので、「リフレッシュの基準」の話をさせていただきます。

 前の章で話しましたが、人間は気分や感情の生き物です。つまり、リフレッシュした際の気分や感情で判断できるという事です。ルキナ的に考えた基準は、以下の通りです。

  • 適切なリフレッシュの頻度の場合:リフレッシュ後に、「明日また頑張ろう」と素直に感じられる
  • リフレッシュの頻度が多い場合:リフレッシュ後に。「明日こそは頑張ろう」と感じてしまっている

「明日からまた頑張ろう」となるのか「明日こそは頑張ろう」となるのかというとても簡単なことです。つまり、リフレッシュ後の自分の感情をよく観察し、大切にしようということです。

 

3. リフレッシュの選定基準

 それでは、リフレッシュするには何をすればいいのでしょうか。何となく予想がつくと思いますが、気分で決めてください

 「これやってみたかったんだよな」「これ見てみたかった」~してみたい、という感情を大切にしてください。ルキナは、リフレッシュは内容にこだわるべきではなく、何をしたいのかにこだわるべきだと考えています。

 読書や運動はストレス軽減という観点でリフレッシュ効果が高いですが、旅行に行ったり、好きなものを食べたりといった気分の高まりに比べればゴミみたいなものと思っています(ルキナは読書も筋トレも習慣的にやってはいますが、、、)。

 

・注意点

 別にやりたいわけではないけど何となくやってしまうような依存症は別です。依存症の場合、気分は高まりますが、それをしていないと落ち着かないという状態になっているので、適切なリフレッシュ法とは言えないです。依存症は、行為そのものが目的となっているため、適切な処置をとって解決が必要となります。

 自分自身がリフレッシュしていると感じる方法を見つけ、それを継続的に行うことで、健康的で幸福な生活を送ることができるでしょう。

 

総括

 普段からやりたい事ばかりやっていると、人生に対して後悔の念があり、日常から気分や感情が上がることは少ないです。一方で、日ごろから努力をしていると些細な気分転換やリフレッシュで大きな気分の高なりを感じることができます。

 「リフレッシュしているから」という言い訳、そろそろやめませんか?