教育とAIの行方
おはようございます、もしくはこんばんは。やっぱりGW(ゴールデンウイーク)は楽しみ、ルキナです。寝たいだけ寝るんや。
既に一部の教育機関で、chatGPTの使用が禁止されています。正直、これは致し方ないとは思っています。そんな簡単に教育方法とか変えられるわけはないです。
ですが、chatGPTなどのAIを使用禁止にし続けることは恐らくできません。というか、積極的に活用していくという頭にシフトしていかないと、経済格差がさらに広がります。
「今だってパソコンの使用方法を義務化されていないけど何とかなっているし、大丈夫でしょ!」なんて言ってる場合ではありません。それでは目次です。
1 教育機関がAIを使用禁止にするわけ
皆さんご存じと思いますが、「めんどくさいから」です。不正行為だ、倫理的に良くないだとか、プライバシーがなんだとか、全部ひっくるめてめんどくさいんです。
「問題が増える=はい、禁止!」ってのが学校です。教育に良くないとか言う人もいるかと思いますが、全部面倒くさいことの"言い訳"です(中には素晴らしい教育者もいるかと思いますが、極々少数でしょう)。
以下、面倒くさい理由の内訳です。
1-1 不正行為の防止
chatGPTなどによって、読書感想文などの小論文系がカンニングし放題になっています。大学でオンラインでテストが行われるなら、AIに答えを聞き放題です(オンラインテスト=カンニングし放題は、今でも行われているので懸念点には含まれないと思いますが)。教育機関はこれらの行為を防止するためにAIの使用を制限したいということです。
1-2 自ら学ぶという学習プロセスを守るため
AIが課題を手助けする場合、学生が自分で問題を理解して解決しようとするプロセスが今までとは変わってきてしまいます。これにより、考える力や発想力を得る機会が減ることが懸念されています。学生が自らの力で学ぶことを守りたい!というのが教育機関側の意見です。
1-3 倫理的な懸念
AIは時に間違えたことを回答します(人間が教育した場合も、当たり前ですが間違えます)。AIが先生になった場合の懸念点は、AI=正しい、と思い込んでしまいやすい事です。また、AIも結局のところはプログラムにより動いているため、製作者のバイアスがかかる可能性もあります。例えば、法律に触れない内容であれば回答してくれる可能性もあり、一般的に教育上に良くないと言われていることもAIが話してしまうことがあるかもしれません(幼稚園児に、どのようにして子どもがつくられるのかを話していいのかなど)。これが、教育上良くないのではないかと言われていることです。道徳的・倫理的な懸念は結構根深い問題です。
2 AIを教育に活用するメリット
2-1 個別化された学習の提供
AIを用いることで、個々の学生の特徴に合わせた学習プランを提供することが可能になるということです。これにより、金銭的に余裕のない家庭の方でも一人一人に家庭教師をつけられるような感じです。各学生の理解度や学習速度に応じた指導が実現されれば教師の仕事は楽になります。正直なところ、AI学習が普及した場合の教師の役目は学力の教育ではなく、コミュニケーションなどの人間関係を教えられることが主となってきます。教育者としてより難しくなる時代になると考えられます。
2-2 24時間対応
個人に家庭教師がついたとしても不可能なことがあります。それは、疲労や24時間対応できないことです。AIは疲労しないだけでなく、生徒の疑問に対して即回答することができるため、先生の回答待ちという時間が無くなり、効率的に学習を進めることができます。24時間ネットさえつながっていれば回答してくれるため、ふと疑問が湧いたときに聞けるというのはかなり強みだと思っています。
3 AIに対する教育の懸念
3-1 頭の固い老人が多いこと
鳥取県の知事のように「地べたを這ってでもかき集めた情報に価値がある」とか謎発言している人がたくさんいると思っています。そういう頭の固い人が日本の成長の足枷になっているという事に気付いてほしいものです。どうか、若い教育者の成長の機会を奪わないでほしいですね。
3-2 新しい技術に疎いであろう人たちがAIを教育する立場にある
AIを駆使して教育するようになった場合、もしくはAIについて教育することが義務になった場合ですが、その際は先生が生徒にAIについて教えるようになります。
教育者が教育できるほどの十分な知識や能力を持っていない状態がどのようなことになるのか、現代において良い例があります。それは"英語"です。ほとんどの学校の教師は日常会話をスムーズに行うことができておりませんが、英語を教えています。つまり、教えられる内容は"コミュニケーションを取る技術ではなく"、"英語とはどういうものなのかという理論"になるわけです。
これをAIの教育に置き換えれば、学校のAI教育とは、”AIを使いこなす技術ではなく”、”AIとは何かという理論”を教えることになります。「知っている状態」から「使える状態」にするにはものすごく大変で、子どもの内に「使える状態」にしておくのが理想的なんですけどね。
3-3 教師としての立ち位置が変わる
今までは、教師=勉強を教えてくれる人、でした。前の章でもお話ししましたが、AIが本格的に導入された場合、教師としての立ち位置が変わってきます。勉強を教えてきた人が、AIがメインで教育する場では補佐の立ち位置になり、教師を目指してきた人が「これは目指した教師ではない」というギャップに苦しむ可能性があります。
ただし、正直なところ教育の場がAIに置き換わるのは10年以上かかると思っていますので、まだ心配はいらないかと思っています。教育がAIを突き放すことにより生じる懸念点が次項の3-4です。
3-4 AI格差
ルキナが、将来の教育で最も恐れていることは、AIの使用を積極的に禁止をして、今までのような紙とペンだけのテスト方式だけが残ることです。なぜこれを恐れるのかというと、AIに対する教養がある人とない人の格差がとんでもなく広がる恐れがあると考えているからです。学校でAI技術の教育が十分に行われない場合、一部の人は私生活でAIを使いこなし、一部の人はAIを何となく使う(AIに使われている)ことになります。これによって、社会全体の技術革新の恩恵を受けられる人々の範囲が限定され、格差が拡大する可能性があると考えています。
そのため、今までの教育法は維持しつつ、AIを駆使しなければできないテスト(AIを使いこなすためのテスト)を取り入れていく必要があると思っています。
これを言うと、「今だってパソコンの使用方法を義務化されていないけど何とかなっているし、大丈夫でしょう」っていう人がいるかもしれません。今お金を稼ぐためにパソコンは必要でしょうか。ほとんどの場合でYESだと思います。社会人でほぼ必須ともいえるスキルを学ぶことに越したことはありません。
もっと言うなら、マーク・ザッカーバーグのような、子どものころからプログラミングを学ぶような子が増えることで、世界はより急速に発展できるのではないのかという事です(急速な発展を恐れて教育しないのか分かりませんが)。
教育機関がAIの教育をしないのなら、自分の子どもには未来でより楽に生きていけるように、AIに関する学びを与えることが大切になってきます。
AIを使いこなせないのか or AIを使いこなすのかという時代から、
AIに食われるか(AIに任せっきりになるのか) or AIを使役するのか、の極端な時代になると考えています。